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東京地方裁判所 平成6年(ワ)8058号 判決

原告

吉田博明

ほか一名

被告

阿部肇

主文

一  被告は、原告吉田博明に対し、金五八三万七九九七円、同吉田ヨシに対し、金六三万四五〇〇円及びこれらに対する平成二年九月一二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その七を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、原告吉田博明に対し、金二〇九一万三〇二五円、同吉田ヨシに対し、金四五〇万円及びこれらに対する平成二年九月一二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用の被告の負担及び仮執行宣言

第二事案の概要

一  本件は、高速道路上で交通事故被害に遭つた男性と、その妻が、加害車両の運転者に対し、損害賠償を請求した事案である。

二  争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実

1  本件交通事故の発生等

(一) 原告吉田博明(以下「原告博明」という。昭和七年一月五日生。当時五八歳、無職(甲一一)。)は、次の交通事故(以下「本件事故」という。)により、第四頸椎前方脱臼等の傷害を受けた。

事故の日時 平成二年八月五日午後七時五〇分ころ

事故の場所 神奈川県横浜市緑区荏田町一三七〇番地(東名高速道路上り線一〇・七キロポスト)先路上

加害車両 普通乗用自動車(多摩三三に六四四。被告が運転。)

被害車両 普通乗用自動車(練馬五二つ五八三〇。訴外川俣一夫が運転。原告博明が右後部座席に同乗。)

事故の態様 被害車両が第一車線を進行中、後方から瞬時、居眠りをしたため、訴外小原卓運転の普通乗用自動車及び同岩澤与一運転の普通乗用自動車に追突した後、高速度で進行してきた加害車両が被害車両の右後部に追突した(甲二)。

(二) 原告吉田ヨシ(以下「原告ヨシ」という。)は、原告博明の妻である(原告ヨシ本人)。

2  責任原因

被告は、加害車両を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づき(人損について)、また前方不注視等の過失があるから、民法七〇九条に基づき(物損について)、原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。

3  損害の填補

原告博明は、被告から本件交通事故による損害金の一部として合計二四三万八三七八円の填補を受けた。

二  本件の争点(原告の損害額)

1  原告らの主張

(一) 原告博明分

(1) 着衣等物損 二五万二七五〇円

原告博明は、本件事故により、事故当時着用していた背広上下(二〇万円相当)、腕時計(四万二七五〇円相当)、靴(一万円相当)を損傷した。

(2) 医師等謝礼 三五万〇〇〇〇円

原告博明は、入院治療を受けた東京都立大塚病院(以下「大塚病院」という。)の主治医二名(合計一五万円)及び原告博明の入院中、付添看護に従事した原告ヨシの手伝いをした同人の姉二名(各一〇万円)に対し、右金額の謝礼を負担した。

(3) 逸失利益 五〇〇万〇〇〇〇円

原告博明は、平成二年七月一八日定年(平成四年三月三一日)を前に東京都職員(生活文化局総務部長。同日付けで同局理事に任命)を退職し、その後、東京都から然るべき再就職先の斡旋を受ける予定でいたが、本件事故により再就職先の選定に不利益を受けたうえ、再就職が四か月余り遅れたため、少なくとも、五〇〇万円の得べかりし利益を喪失した。

(4) 慰謝料 一三〇〇万〇〇〇〇円

原告博明は、本件事故による受傷の結果、〈1〉事故現場において、死の恐怖を味わつたほか、〈2〉病床での身動きできない闘病生活を強いられ、長期にわたる入院(一四一日)及び退院後のリハビリを余儀なくされたほか、被告に当て逃げをされ、〈3〉さらに、現在も左手指の機能障害等が残存し、少なくとも、後遺障害等級表七級の後遺症に悩まされており、これら原告博明の受けた肉体的・精神的苦痛を金銭に評価すれば、一三〇〇万円(〈1〉につき一〇〇万円、〈2〉につき四〇〇万円、〈3〉につき八〇〇万円)を下らない。

(5) 弁護士費用 二三一万〇二七五円

(二) 原告ヨシ分

慰謝料ないし付添看護費または休業損害 四五〇万〇〇〇〇円

原告ヨシは、本件事故当時、専業主婦として、家事労働に従事していたものであるが、本件事故により原告博明が受傷したため、原告博明の入院期間中(一四一日)はもとより、一年五か月間に及ぶ通院時(通院実日数七六日)や出退勤時の付添介護等を余儀なくされて、多大の精神的苦痛を受けたものであり、原告ヨシの損害としては、慰謝料ないし付添看護費として右金額が相当であるのみならず、これを主婦の休業損害としても次のとおり相当である。

(1) 入院期間中 賃金センサス平成二年第一巻第一表産業計・企業規模系・女子労働者学歴計五五歳ないし五九歳の平均年収額二九〇万九〇〇〇円(一日当たり七九六九円)を基礎として、その一四一日分(一一二万三六二九円)

(2) 退院後 賃金センサス平成三年第一巻第一表産業計・企業規模系・女子労働者学歴計五五歳ないし五九歳の平均年収額三〇五万〇三〇〇円(一日当たり八三五六円、一月当たり二五万四一九一円)を基礎として、一年五か月の七割合(三〇二万四八七二円)

(3) 右合計 四一四万八五〇一円

2  被告の認否及び反論

(一) 原告らの損害額については、いずれも争う。

原告博明の右視床出血(脳内出血)は、外傷性脳内出血ではないから、本件事故との間に相当因果関係はなく、右視床出血に起因する左片麻痺、左上肢巧緻性障害、左手指関節可動域制限等の左手指関節機能障害についても、本件事故との間に相当因果関係はない。

(二) 身体的素因減額

原告博明は、本件事故以前から頸椎すべり症、頸椎椎間板ヘルニア(頸椎四番・五番、五番・六番、六番・七番)に罹患していたものであり、本件事故による受傷のうち、第四頸椎前方脱臼は、原告博明が事故以前から身体的素因として有していた右頸椎すべり症及び右各頸椎椎間板ヘルニアと本件事故による衝撃等とが競合した結果、発症したものであるから、公平の観点から、民法七二二条二項を類推し、原告博明の受けた損害のうち、少なくともその二割を減額するのが相当である。

(三) 損害賠償金の支払

被告は、前記二四三万八三七八円のほか、本件交通事故に基づく損害賠償金の内払として、原告博明に代わり、大塚病院に対し、四三七万九四一〇円、聖マリアンナ医科大学病院に対し、七二一〇円(合計四三八万六六二〇円)を支払つた。

3  被告の主張に対する原告博明の認否及び反論

(一) 身体的素因減額について

原告博明が本件事故以前から頸椎すべり症に罹患していた事実については、否認し、右罹患の事実を前提として、素因減額をすべきであるとする被告の主張については、争う。

仮に、原告博明に脊椎すべり症の既往症があつたとしても、原告博明は、本件事故前から何らの自覚症状もなく過ごしてきており、身体的素因を理由に損害額を減額するのは相当でない。

(二) 損害賠償金の支払について

被告が原告博明に代わり、大塚病院に対し、四三七万九四一〇円、聖マリアンナ医科大学病院に対し、七二一〇円(合計四三八万六六二〇円)を支払つた事実については、いずれも不和。

第三争点に対する判断

一  損害額

1  原告博明分

(一) 着衣等物損 一二万六三七五円

原告博明本人によれば、原告博明は、本件事故により事故当時着用していた背広上下、腕時計、靴を損傷し、これらの購入当時の価格は、合計三五万二七五〇円程度であつたことが認められるが、それらの購入時期はいずれも明らかでなく、本件事故当時に購入当時と同程度の価格であつたことを認めるに足りる証拠はないから、被告に負担させるべき金額としては、控えめな算定の見地から本件事故当時の価格を購入当時の二分の一とみて、右金額とするのが相当である。

(二) 医師等謝礼 一五万〇〇〇〇円

原告博明本人、同ヨシ本人によれば、原告ヨシは、大塚病院の医師二名に対し、謝礼として合計一五万円を支払つたことが認められ、右金額は、原告博明の症状に照らし、原告博明の損害として相当性があるというべきであるが、原告ヨシの付添看護を手伝つた同人の姉らに対する謝礼については、支出の事実及び支出を被告に負担させることについての相当性を認めるに足りる的確な証拠はない。

(三) 逸失利益 認められない。

(なお、原告博明が本件において求める逸失利益は、原告博明の後遺障害を前提とした主張でないことが明らかであるから、この点を内容とする逸失利益の有無については判断しない。)

(1) 甲一九の1、2、二〇の1、2、二一の1、2、二二、原告博明本人によれば、次の事実が認められる。

原告博明は、もと東京都職員であり、原告博明の定年退職日は満六〇歳に達した日(平成四年一月五日)の属する年度の最終日である同年三月三一日であつたが、原告博明は、平成二年六月下旬ころ、当時の上司から勧奨退職の打診を受けてこれを了承し、同年七月一八日東京都生活文化局総務部長(同日付けで同局理事に任命)を最後に東京都を退職したが、その際、再就職先の斡旋の内示はなく、いつころ斡旋するとの説明もなかつた。

その後、同年一二月上旬ころ、東京都副知事から原告博明に対し、再就職先として財団法人東京善意銀行常務理事にどうかとの内示があつたことから、原告博明は、平成三年一月一日付けで、同銀行常務理事(元東京都総務局理事の後任)に就任し、同年二月から勤務を開始したが、東京都から原告博明に対し、原告博明が交通事故に遭つたことが同人の再就職先の選定に際し、影響があつた旨の説明はなかつた。

原告博明は、平成四年六月三〇日財団法人東京善意銀行を退職し、同年七月二六日東京都が出資している東京食肉市場株式会社常勤監査役に就任した。

原告博明は、平成二年度に東京都から給与として七六一万八七二三円を受け、同三年度に財団法人東京善意銀行から給与として一二一〇万二二〇〇円を受け、同四年度に東京食肉市場株式会社から給与として一二一四万九六八四円を受けたが、本件事故によるリハビリ治療等のため、財団法人東京善意銀行の勤務開始が遅れたことに関して、原告博明の給与が減額されたことはなかつた。

(2) 原告博明は、再就職先の斡旋について、退職の勧奨をするときは人事構想を作つてから行うから、原告博明のように再就職が半年も遅れた例はなく、また、退職の勧奨があつた際、上司から然るべき第三セクターに推薦したいので、再就職は二、三か月先になると思うと言われ、その趣旨を、東京都が当時開設準備中であつた財団法人江戸東京歴史財団の役員に原告博明を斡旋するものと理解しており、本件事故がなければ、早期に有利な再就職先に就職することができたはずであつたが、本件事故の結果、待遇の悪い財団法人東京善意銀行に行くことになつたものであるから、待遇のよい再就職先に就職していれば得られたはずの給与と原告博明が現実に得た給与との差額分を得べかりし利益(逸失利益)として喪失したというので、この点について検討する。

前認定のとおり、原告博明が退職の勧奨を受けた際には、原告博明に対し、未だ再就職先の斡旋の内示がなかつただけでなく、いつ斡旋するとの説明もなかつたことに加えて、原告博明本人によれば、斡旋を受けるべき再就職先や役職等は、当該法人の株主総会や理事会の開催時期のほか、前任者の任期等との関係があり、内示できる段階まで予告はなく、本件事故のために東京都から再就職が遅れたとの説明もなかつたことが認められ、他に、原告博明がいつどのような再就職先の斡旋を受けるべきであつたかという点についてこれを認めるに足りる的確な証拠はなく、結局のところ、原告博明が財団法人江戸東京歴史財団を始め、早期に有利な再就職先に就職できたとする相当の蓋然性があつたとは認めがたい。

かえつて、甲二二によれば、原告博明と同年度に退職した者のうち、原告博明以外にも退職後、しばらくの間、再就職先の内示のなかつた者も複数おり、原告博明の内示だけが遅れたとは一概に認めがたいうえ、原告博明が斡旋を受けた財団法人東京善意銀行常務理事の役職についても、原告博明の前任者の東京都退職時の役職(東京都総務局理事)と、原告博明の退職時の役職とを比較して、原告博明の待遇がことさら悪くなつたとする点についても、これを認めるに足りない(なお、原告博明が甲二二中の別表に証拠として挙げる指定団体等の役員報酬は、あくまで一応の基準であり、当該団体の経営状況等を抜きにして、役員が当該報酬額を得られるという保障はなく、また、団体等のランク付けの基準は公表されたものではなく、一般性はないというべきであるから、団体の収入面に関する待遇について、これを基礎とするのは相当でない。)。

そして、前認定のとおり、原告博明は、本件事故によるリハビリ治療等のため、財団法人東京善意銀行の勤務開始が遅れたことに関して、給与が減額されたこともなかつたのであるから、原告博明が本件事故の結果、得べかりし利益を喪失したとはいうことはできない。

(四) 慰謝料 七五〇万〇〇〇〇円

原告博明の入通院期間、後遺症の部位程度、その他本件に顕れた諸般の事情(とりわけ本件事故により原告博明が長期にわたる加療を強いられ、現在も日常生活において不便を感じていること、前記のとおり逸失利益が認められなかつたこと等)を総合斟酌すると、原告博明の入通院慰謝料として二五〇万円、後遺症慰謝料(乙三七ないし四〇、四一の1、2、四二の1、2、四三ないし四五、七五の1ないし3によれば、平成四年六月二九日原告博明の症状が固定し、原告博明には、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一一級七号(脊柱の変形)、一二級五号(骨盤骨の変形)に該当する後遺障害(併合一〇級)が残存したことが認められる。)などとして五〇〇万円とするのが相当である。

なお、原告博明は、さらに本件事故が当て逃げ事故であることを慰謝料増額事由として主張するもののようであるが、本件事故は三個の連鎖的な事故ではあつても、それが当て逃げ事故であることを認めるに足りる証拠はないから、これを個別の増額事由としては考慮しない。

(五) 右合計額 七七七万六三七五円

2  原告ヨシ分 六三万四五〇〇円

(一) 付添看護費 六三万四五〇〇円

甲二三、原告ヨシ本人によれば、原告ヨシは、原告博明の受傷日の平成二年八月五日から同年一二月二三日までの合計一四一日間原告博明の付添看護に従事したことが認められ、近親者付添について医師の指示があつたわけではないが、大塚病院が基準看護であり、看護婦から近親者の付添を示唆されたこと、乙二八ないし三六(枝番を含む。)から窺われる、原告博明の入院時の症状(当初は牽引のため、体動ができず、その後も右視床出血による左片麻痺が生じていた。)に照らし、その間、付添看護を要すべき状況にあつたものと認められ、近親者の付添看護費は、一日当たり四五〇〇円とするのが相当であるから、一四一日間で右金額となる(原告博明の請求ではないが、右金額の範囲で近親者ヨシの損害と認める。)。これに対し、退院後の付添について付添看護の必要性を認めるに足りる的確な証拠はない。

(二) 近親者慰謝料 認められない。

前認定のとおり、原告博明の後遺障害は自賠法施行令二条別表後遺障害別等級併合一〇級であり、同人の死亡に比肩すべきほど重度の後遺障害と認めるに足りず、他に、近親者慰謝料を認めるべき証拠はない。

(三) 休業損害 認められない。

本件事故により、原告ヨシが原告博明の入院及び通院看護のため、家事労働に従事しなかつたことは、本件事故による間接損害であり、本件事故と原告ヨシの損害との間に相当因果関係があることを認めるに足りる証拠はない。

二  損害の填補

原告博明が被告から二四三万八三七八円の填補を受けたことは、当事者間に争いがないから、これを前記一1(五)の金額から控除すると、その残額は五三三万七九九七円となる。

被告は、さらに、本件交通事故に基づく損害賠償金の内払として、原告博明に代わり、大塚病院に対し、四三七万九四一〇円、聖マリアンナ医科大学病院に対し、七二一〇円を支払つたと主張するが、これらは、いずれも原告博明の請求しない費目に対するものであり、これを原告博明の損害の填補とみるのは相当でない。

なお、原告博明の後遺障害は、前認定のとおり、脊柱及び骨盤骨の変形障害を内容とするものであり、原告博明の右視床出血、頸椎すべり症とは、関連性に乏しいというべきであるから、これを理由として素因減額をするのは相当でないというべきである。

三  弁護士費用 五〇万〇〇〇〇円

本件事案の内容、審理経過及び認容額その他諸般の事情に鑑みると、原告博明の本件訴訟追行に要した弁護士費用は、五〇万円とするのが相当である。

四  認容額

原告博明 五八三万七九九七円

原告ヨシ 六三万四五〇〇円

第四結語

右によれば、原告らの本件請求は、原告博明につき五八三万七九九七円、同ヨシにつき六三万四五〇〇円及びこれらに対する本件事故の日以後である平成二年九月一二日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項本文を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 河田泰常)

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